ぼたもち・おはぎ違いは何?呼び名と歴史から考察
縄文時代の遺跡から炭化した小豆が発見されているほど、小豆は古くから食用として用いられていたようです。
昔から赤い太陽や赤い炎は信仰の対象であるとともに、邪気を払う色とされてきましたが、赤い色をした小豆も厄除けとして食されてきました。
春のお彼岸のぼたもちや秋のお彼岸のおはぎも、邪気払いの物として先祖にお供えしたのが始まりと言われています。
今回は「ぼたもち」・「おはぎ」の違いを歴史から紐解いていきます。
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ぼたもちとおはぎの違い
春のお彼岸にはちょうど牡丹の花が咲くことからぼたもちと呼び、秋のお彼岸の頃には萩の花が咲くことからおはぎの名前がついたと言います。
四季を大事にする日本ならではの呼び方です。
由来は、「倭漢三才図会」(寺島良案により江戸時代中期に編纂された日本の類書)に、「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあり、ぼたもち、おはぎとなったようです。
ぼたもちとおはぎの違いには、地方によって諸説あります。
おはぎは粒あん、ぼたもちはこしあんと、あんこを使い分けて呼ぶところや、もち米のみをつぶして作ったものをぼたもち、もち米とうるち米を使ったものをおはぎと呼ぶところもあります。
また、粒あんをつけたものをぼたもち、きな粉をまぶしたものをおはぎというところもあるようです。
なるほどと思うのは、秋のおはぎは小豆が収穫期のため煮ると皮まで柔らかいので粒あんにし、春の小豆は冬を越して皮が厚くなっているのでこしあんにしたとの説です。
あんこの歴史とそのパワー
あんことして伝わったのは紀元607年推古天皇時代と言われています。
団喜という名前で今の肉まんのような形のものが、遣隋使によって伝えられたようです。
その後、僧侶たちによって塩味の小豆あんが薬膳に用いられてきました。
今のような甘い小豆あんがお菓子として用いられるようになったのは、茶道が広まった室町時代から安土桃山時代になってからです。
小豆には、解毒作用や脚気予防になるビタミンB1、皮膚を健康に保つビタミンB2、だるさや疲れをとるビタミンB6が含まれています。
その他にも、コレステロールの上昇を抑制するポリフェノールやカルシウム、鉄分を含むミネラル、便秘に効果がある食物繊維、更年期障害の予防と改善に効果があるイソフラボンなども含まれています。
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四季を通して4通りの呼び名を持つおはぎ
最近では和菓子屋さんでも一年中を通して「おはぎ」の名前で店頭に並んでいますが、春の牡丹餅、秋のお萩に加え、夏は「夜船」冬は「北窓」と呼ばれています。
ぼたもちもおはぎも杵でつかず、すりこ木で潰して作りますが、餅つき音が隣家に聞こえないでできることから「つき(音)知らず」つきしらずと言われてきました。
そのことから夏の「夜船」は静かに音もなく船が着くことと、音もなくお萩が出来上がることをかけた風流な名前が付けられたようです。
冬の「北窓」も同じような発想で、北の窓からは月が見えないので「つきしらず」といいます。
昔から小豆は季節の節目のお祝いごとには必ず用いられてきました。
小豆には代謝を整えて、余分な老廃物を排出させる作用があります。
また、小豆は体のむくみやだるさを改善し、かゆみや吹き出物などの肌トラブルにも効果があります。
現代のように薬がない時代には、おはぎは貴重な薬膳であったようです。
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